ひとりごと 降伏するということ
(毎週月曜日に社員向けに社長新聞を発行しています。その末尾の記事、「ひとりごと」を転載します。
世間の出来事をいろいろな側面から見てみようという意図もあるので、かなり偏った表現もありますが、ご容赦ください。 増田昭雄)
2月にロシアがウクライナに侵攻した直後、軍事力に圧倒的な差があるということだったので、私はウクライナは早々に降伏するものだと思っていました。実弾が飛び交えば多くの国民に犠牲が出ることを考えるとその方がましだろうと思ってたからです。しかし4ヶ月経った今でもウクライナは抵抗を続けています。降伏するということについての考えが私は甘かったと思っています。
昔から日本の戦(いくさ)というのは、主に権力者間の戦いで、支配される一般の者は、皆殺しに会うわけではなく、戦に勝ったものに付けばいいという感じでした。武士ですら、戦況を見ながら勝ちそうな側に寝返るというのが常だったと聞いています。また、太平洋戦争は日本の無条件降伏という形で終わりました。東京裁判という不当な裁判やシベリア抑留などの悲劇はありましたが、戦後、日本はアメリカによる占領時に保護を受け、その後の発展につなげることができたのだと思います。さらに、最近の企業買収でも、新たな経営者が、穏便に経営を引き継ぐことが多いようです。
しかし、民族や宗教が異なる多くの外国では降伏した者は皆殺しにあったり、奴隷として売買されてきた歴史があります。ゼレンスキー大統領としても、ロシアに降伏すれば国民がどのようなことになるのかよくわかっていたのだと思います。私のような考えを平和ボケというのかもしれません。