ひとりごと 過度な正義感と大局観について
(毎週月曜日に社員向けに社長新聞を発行しています。その末尾の記事、「ひとりごと」を転載します。
世間の出来事をいろいろな側面から見てみようという意図もあるので、かなり偏った表現もありますが、ご容赦ください。 増田昭雄)
東京オリンピックが先週始まりました。華やかな話の中に忘れられてしまいそうですが、開会式直前まであったごたごたについて私見を述べます。
開会式の楽曲を担当したミュージシャンや、制作・演出のディレクターが相次いで過去の言動を暴露されて辞任、解任に追い込まれました。本番直前で解決に当たった担当の方々の苦労を思うと、悲しくなります。
いずれも20年以上も前の発言です。わざわざそんなものを探し当てて人を非難することにどれだけの意味があるのでしょうか。反省すべき過去は反省してもらい、彼らの能力を世界に向けて存分に発揮してもらうといった発想ができないものでしょうか。20年前と今とではいじめに対する道徳観も変わっています。正義感を振りかざして辞めるまで追い詰めるという人々の行動と、反対意見を言おうものなら自分に火の粉が飛んできかねないというネット社会に恐れを感じます。現在の行動や業績で人を評価し過去の多少のミスには寛容であること、オリンピックという国家の大事を任せているのだから今はそれに集中してもらうという大局観が私たちには必要であると思います。
逆に、防衛副大臣が問題の発言をユダヤ人の団体に報告したとの報道があります。事実であれば、立場もわきまえず他人の不祥事を自分の政治活動に利用した愚劣な行為です。サウナを職務室に設置し非難を浴びて辞職した元市長が再度立候補するという話もあります。こういう輩は絶対に許してはいけないと考えます。